ようやく手にした天下
三河出身の戦国大名。父は松平広忠。のち江戸に幕府を開きました。
幼い頃は、家が弱小勢力だったうえ、今川・織田の強国に挟まれていたため、今川家の人質となり、10年以上も今川義元のもとにいました。1560年の桶狭間の合戦で義元が討たれると独立し、1562年に織田信長と同盟を結びます。以後、信長の強固な同盟者として、数々の戦に援軍として参戦しました。
1582年の本能寺の変ののち、甲信地方に進攻し、これを平定。はじめ豊臣秀吉と対立しますが、やがてその臣下に加わります。しかし、天下取りの野望をあきらめたわけではありませんでした。
1598年、秀吉がこの世を去ると、積極的に天下取りに向けて動き出し、1600年の関ヶ原の合戦で勝利をおさめ、名実共に、日本第一の勢力となります。1603年に征夷大将軍に任ぜられ、江戸に幕府を開き、幕府の基礎固めを行いました。1615年には、豊臣家の勢力を完全に駆逐し、後顧の憂いをなくしました。
1616年4月14日、死去。死後、神格化され、いまも日光の東照宮に祀られています。 |