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■長州藩                




◆ 究極の放任上司?「そうせい候」毛利敬親  なぜか上司がイエスマン

長州藩は、幕末に活躍した有力藩。
桂小五郎(木戸孝允)や、高杉晋作といった有名な藩士を出した藩でもあります。
しかし、この時期の藩主は誰でしょう。
意外と知られていません、毛利敬親です

■「そうせい、そうせい」のそうせい侯
彼は、直目付の長井雅楽の政策案を採用し、開国の兆しをつくるなど、
藩政に熱心だったように見えますが、実はけっこう決断力に乏しかったらしいのです。

それというのも、彼のあだな「そうせい侯」は、
部下の意見は何でも「そうせい」と言って許可したというからです。
意見がよかったから「そうしろ」と言ったのかもしれませんが、
何でもけっこう「そうせい」だったらしいです。

しかし、彼が「そうせい」と言った方針は全くの誤りではないわけですよね。
人材登用についても、有能な人材をそろえるなど、決して凡庸な人物ではないんですがね。

なんとなくただのイエスマンのような書き方になってしまうなぁ。

あと、「そうせい、そうせい」で「そうせい候」って安直…。


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◆ 革命児・高杉晋作逝く!  明治維新の立役者の辞世とは?

「幕末維新回天の革命児」と謳われる高杉晋作。
彼は、「動けば雷電、発すれば風雨」ともいわれる行動力と決断力を備えた
まさしく維新の立役者でありました。

■おもしろき こともなき世を おもしろく
しかし、そんな彼も病に冒されていました。
肺結核です。
晋作は、病が悪化してから下関郊外の東行庵で療養していましたが、
よくならず、慶応三年(1867)四月十四日、林算九郎邸において、二十九歳で生涯を終えるのです。

晋作は臨終に際して、辞世を詠みました。
「おもしろき こともなき世を おもしろく」
と上の句を書いて、晋作は筆を落としてしまいます。
そこで看病していた野村望東という勤皇派の尼歌人が下の句を加えたのです。
「住みなすものは 心なりけり」
これを書き加えると、晋作は「おもしろいのう」と言って息を引き取ったそうです。

…晋作は望東尼とは親しくしていましたし、看病にきていたのも事実だそうです。
しかし、この辞世はいいですね。
奔放だったという高杉の性格がよく出ていると思います。

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